ワイは、猫じゃ。伊豆高原モダンアート美術館に住み着き
上原一郎って奴を、いつも眺めている。
| ■ 宇宙の掟 |
| Date: 2008-07-19 (Sat) |
まだ若い時
僕は目に映るきれいなもの
美しいものを求めて
放浪していた
ヨーロッパの美しい風景
美しいスペインの女性
何度もなんどもも絵にした
やがて興味はなくなった
所詮は網膜に映る美しさ
風景に人物,鳥など配置して
画面を構成する
どんなことをしても
全ては自分の夢,希望,言いたいことを
口でも言い尽くせるものを
絵にしているだけ
そして
空しさだけが残る
子供の頃
西洋美術館でデ,ビュッフェの絵をみた
おじさんと呼んだらハイよ
と応えそうな
大人のような子供のような
そして広い心を感じた
この時
芸術は上手に
風景や人物を模写することではなく
描かれたものから
作者の人柄や心の豊かさ
を匂わせ
魅了する世界である
と感じた
この僕らが住む宇宙には
目に見えない構造骨格があり
心を無にした時
宇宙の引っぱり
引きつけ合う力を
感じることができる
これを感じた時
芸術が始まる
| ■ 芸術って何 |
| Date: 2008-07-14 (Mon) |
日本では絵や彫刻,音楽など
芸術と言われる分野に
どこどこ美術大学だの
どこどこ先生に習っただの
何々会で何賞をもらっただの
他の国にには通じない
価値観が横行している
芸術は個人の
遺伝子が創り出す
匂い,癖,オーラのようなもの
人は芸術家の創り出す
このオーラに魅了される
これらは個人に
先天的に備わっている
しかし
これらは簡単には出てこない
個に備わったエキスだから
自分をみつめ
自分のリズムを探し出し
何時か探し出せるだろう
自分自身
このための戦いなのだ
だれが一番
彼が二番ではないのだ
競の世界ではない
自分自身を見つけるため
| ■ 芸術とは |
| Date: 2008-07-11 (Fri) |
アートって
芸術とはなんだろう
普段私達が見ているもの
それは歩くのに
動くのに
必要なてがかり
見通してはいない
芸術的に見るとは
視覚をこえて
人間の五感と混じり合い
その形は目に見えない内的な力
と空間がその形に外から
攻めたてる
空間は目に見えない
空間にモノが存在した瞬間
形の内的な力と空間の外的な力が攻めぎあう
見るとは
この自然の摂理を感じ取ること
だから教えることも
教わることも出来ない
只心を宇宙に向けて
宇宙の力を感じ取るしかない
世界
この大宇宙の空間には
不安定な場所
安定した場所がある
キャンバスは大宇宙である
モノをあちこち動かし
バランスを感じる
人はみなこの宇宙が創り出す
リズムとハーモニーに引きつけられ
心が溶ける
芸術とは
このリズムとハーモニーをもって
作家が放つ
匂い,癖,オーラ
のこと
| ■ 見ること |
| Date: 2008-07-08 (Tue) |
窓辺から回りの風景に目をやる
つい数ヶ月前まで
黒い枝の幾何学模様の木々は
緑色の半円形,三角,四角形に
変わっている
景色をよく見ると
屋根は三角
家は四角
自然にある全ての形は
四角,三角,円形に還元される
多分太陽とモノとの関わり
による
木々の枝は太陽を求めて
どの枝も温かい太陽
を求めて
その手先を伸ばす
平等に日光を浴びた枝達は
円形を形成
木の成長過程では
先端が細長く
三角を形成する
山の形は半円形
田や畑,建物
人が創り出すものの全ては四角形
人は自然から形をまねた
これらの形は
単なるアウトラインによって
形成されてはいない
私達の体に備わっている
立てと水平の感覚
によって見ている
四角は立て,ヨコの概念
に放射状に動く
目に見えない動き
の先にある四つの点を形成し
その点を無意識に繋ぎ合わせると
四角になる
三角は三つの点を
目に見えない
内的な力が創り出す
丸も同じである
形とは目に見えない
内的な力によって出来た
境界と外の空気の力
のせめぎ合い
力と力の均衡
まるで相撲取りががっぷり四つに組み
力と力が同じで
一歩も動かない状態
静止しているようで
力と力の緊張状態
| ■ アートの創り方 |
| Date: 2008-07-07 (Mon) |
回りをよくみると
のろまな人
忙しい人
おっとりした人
生まれながらにして
人はその性格を持ち合わせている
それは生まれもったリズム感
このリズムに上手く出会うと
人は恋に落ちる
このリズムをもって階段を上がったり
下りたりすると
ハーモニーが生まれる
リズムもハーモニーも
宇宙が創った
耳をすますと鳥の声や虫の声がきこえる
色々な音のトーンを階段に乗せると
ハーモニーが生まれる
絵も同じ
自分らしいリズムとハーモニーを創り出すため
しずかに自分の心の音を聞いてみる
探し出せた時
心は満ちる
人は皆
自分の音を見つけ出した時
自信を得る
| ■ 見るとは |
| Date: 2008-07-05 (Sat) |
今日は昨日の雨上がりの
うだるような
暑さとは
ちょっと違う清々しさである
ぽっかりと大島が空に浮かんでいる
地平線と海との境目が
わからない
船が空にうかんでいる
じっと目を凝らしてみる
動いているのだろうか
何も比較するものが無い
どっちに進もうとしているのだろうか
あっちこっち目を動かし
動いている
印しを探す
あった
一本の木である
さっきまで木の上にあった船は
木から離れていく
窓から庭の木々の空間に
動物のような不思議な形を見つける
目を木々が創る
空間にやると
様々な形がみえる
目を木だけにやると
木しか見えない
木の回りを包んでいる
空間に目をやると
空気と木々がせめぎあっている
おもしろい
もしかしたら
ぼくも回りの空間とせめぎあって
生きている
只空気は見えないだけ
多分空気に色を付けたら
様子がわかる
その証拠に
絵を描く時
背景に勝手にいろを付けている
見るとは
空間とモノが織り成す
せめぎ合いの
ドラマ
| ■ 神様の住む地 |
| Date: 2008-07-04 (Fri) |
六日間の三島大社での
展覧会が終わった
毎日五六十人の人が観に来てくれた
何か又やろうと言う気になってきた
何故か爽やかな気分です
神社の境内にある
宝物館でもあり
色々な神々が住む地でもある
六日間毎日神様に癌を直してくれた
お礼と残った人生を
画家として
パワフルに活動できることを祈った
巨木の生い茂る境内で
深く息を吸い込むと
何故か清々しい
千年以上も生きぬいてきた巨木
の下で遠い昔を想い
人々が風,火,雨や地震の脅威におびえ
どうする事もできない恐怖
を神様の仕業と信じるようになった
米が取れた,作物が豊作であった
大火災にあった
洪水にあい人々が沢山死んだ
その度ごとに神さまを信じる心は
つよくなっていった
今,現在科学がどんなに進歩しても
何千年も昔と何も変わらない
私達はこの宇宙の下で
地球と言う惑星に生きる生き物
宇宙の摂理にひっぱられて
生きている
そして生まれると同時に
死ぬ運命も
持ち合わされている事も
私達は目に映るものが
全てだと錯覚している
人は皆
視覚を通って
それぞれの五感でモノを見ているのです
一つのリンゴを五人が見た時
リンゴの名前と形は視覚に同じに映る
でも世界でたった一つのリンゴを見ている
だから寂しいのです
だから凄いのです
だから神様にお願いするのです
| ■ 孤独な作業 |
| Date: 2008-06-23 (Mon) |
私は幼い頃より
繊細で気の小さい子供
劣等感のかたまりのような子供
何時も自分をみている
自分だったら
何時も心のかけらを創り出す
作業をしていた
自分の心のわだかまりを無くすため
詩や絵を描く
もう一人の自分を発見し
たった一人でないことに気ずく
心に残った喜びや悲しみ
を描き出す
なぜか清々しい気分になる
何処か精神安定剤のようである
こんな繰り返しの中で
少年から青年期を迎え
沢山の悩みと悲しみを抱え
頭が爆発しそうな程
の日々
絵,詩を描くことで
心が和らいだ
そんな僕の心の内
を誰かが感動してくれた
作品は少しづつ売れた
やがて何百万で売れた時
後ろめたさと満足感の混じり合った
不思議な感動を味合う
だって僕の心の内を
絵にしているだけなのに
僕は思う
回りを見ると
絵を描いたりモノを創ったり
の人が沢山いる
皆で集まってごちゃごちゃやっている
そして特別な存在であるかのように
エバリチラしていたり
僕には奇異に映る
心の内を世にさらして
感動してくれる人に出会い
おまけにお金までくれる
こんな幸わせはない
二度の死の淵に立ったこと
は
自分のより深い心の内に
近ずけるかも知れない
| ■ 芸術のはじまり |
| Date: 2008-06-22 (Sun) |
人はなぜ絵,彫刻,音楽など
芸術と言われるモノを
創るようになったか
遠い昔
言葉も,文字も無い時代
人とひとのコミにケーション
は身振り
手振りであった
まるでゴリラやチンパンジーのように
キャー,とかウーとかの
音で自己表現していた
意思の伝わらない事に出くわすと
自然に空中や地面に
絵を描き始めた
それを見て
相手は喜び,
自分も魚,や鳥の形を描き
互いに意思の伝わる喜びを感じた
この事は他の人々にも伝わり
絵は伝達手段として
言葉や文字よりも
早く出て来た
それは視覚上皆の目にも
あらゆるモノは同じに映る
言葉や文字は
人間が考えた
共通の約束事だから
絵を単略化して
絵から文字に変化していく
それでも
絵は伝達手段のみでなく
装飾や祭礼儀式に使われるようになる
すると手先の器用な人物が
重宝がられる
彼らは
祭礼,儀式には必要な存在となった
日本でもヨーロッパ,
その他の世界中の国々
でも祭礼,儀式,宗教と共に
絵,彫刻,音楽は密接に歩んで来た
日本では歌麿や北斎に代表される
絵は始めて自由を得て
祭礼や儀式の為ではない
自由意志で描く絵の出現である
ヨーロッパでも
イコン,教会のフレスコ画,宮廷画家の時代を経て
作家達の自由意思で描く
フォービズム,印象派.キュービズムに至まで
長い歴史が必要だったのです
今芸術は自由を得て
だれの為でもなく
自分の為に
もう一人の自分を
探し出すため
宇宙の創造した
リズムとハーモニー
にのせると
芸術が出現するのです
| ■ 個の無い日本人 |
| Date: 2008-06-19 (Thu) |
遠い遠い昔
日本人が生まれた頃
海辺で魚を捕って生きる人
山で木の実,山菜,イノシシ,だので生きる人
季節や天気で食べ物が取れたり取れなかったり
海の獲物を山のモノと
物ぶつ交換が始まる
何時も空腹を満たすため
定住し,
作物を耕作し始める
米を作り
野菜を育てる
天気やその他の条件で取れたり
取れなかったり
太郎さんが一番沢山
米が取れた時
次の年は太郎さんの栽培方法を
皆で真似る
一人だけ自分のやり方の
次郎さんは食べるものが無く
皆の笑い者
たまに自分の意見を言う
三郎さんは村の嫌われ者
やがて村八分にあう
だから
何時も他人が何をしているのかが
気がかりなのだ
やがて
生まれついた感性
意見,考え方
は人々から無くなり
みんな一緒が一番
平和だと
これが民主主義だと
おかげで自分が何だか解らない
たまに自分の意見など
言えば
つまはじきにされる
色々な個を集め
一つのシンボルに向かうと
生き生きとした全体が出来るのに
個は生まれながらにして自分
10人が一つのリンゴを見ても
個々に違う感性でリンゴをみている
只リンゴの名前と形が視覚に
同じに見えるだけ
個は変われない
変えられない
バカも利口もない
他人の経験した尊い知識
を上手にパクリ
脳みそに蓄積することが学問か
まるで
コンピュータだね
生まれながらの個の力で
人生を歩く
遅くたって良い
バカと言われたって良い
自分は自分だから
風の音も
海のさざ波の音も
全て自分の波長と混じり合い
幸せに成る
お金がなくても
心が貧乏でなければ
生きていける
個があれば
自分なりに感じ
生きて行ける
| ■ 絵のみかた |
| Date: 2008-06-18 (Wed) |
何処かで観た事がある絵
この絵はこんなことを言っている
目に映る
色や形から意味を探す
意味が見つからないと
この絵は私には解らない等と
偉そうに芸術を知り尽くしたかのように
この絵は誰々の作品と似ている
など
音楽的に言うならば
演歌的な絵
クラッシック的な絵
ジャズ的な絵
絵画では二次元と三次元しかない
子供の絵
11世紀以前のヨーロッパ絵画
イコン,フレスコ画
明治以前の日本の絵
浮世絵など
は二次元
ルネッサンス以後の絵画
ゴヤ,ベラスケスなど
19世紀までつづく
これらは全てカメラの代用
人間がモノをみるとは
視覚上(カメラのレンズ)は三次元
それが五感と混じり合い
結果二次元世界を
創り出す
そして記憶となる
だから子供の絵やエジプトの壁画は心で観ているのです
三次元(写真)のように絵が上手く描けても
才能が有るとは言わないのです
それは
表現手段に過ぎません
その証拠に
ピアノがどんなに上手くても
絵がそっくりに描けても
芸術とは言わないのです
ゲイジユツとは
その音,から
その色,形から
魅惑的な匂いのような
癖のような
オーラが虜にするのです
| ■ 真実のこと |
| Date: 2008-06-18 (Wed) |
アートはまるで始めて出あった
異性にひとめぼれする
そこから恋が始まり
恋が実る
学ばなくたって
練習しなくったって
恋することは出来る
生まれついた感性で
自分を信じて
だってたった世界で一人しかいない
回りを見るな
他人は人
自分は自分
価値は自分が決める
芸術は誰かが決めた価値観ではない
何処何処美術大学でも
何とか先生に教わる
事も出来ない世界です
生まれつき自分に備わった
何か
匂い
癖
劣等感と言う文字に潜む
不思議なオーラ
| ■ 不思議なこと |
| Date: 2008-06-17 (Tue) |
昨日朝
電話がなり
ずーと僕をサポートしてくれていた
新宿の社長からだった
三島大社での展覧会への
花束を送るとの
知らせでした
お昼頃
以前僕のアトリエに来た
若夫婦が尋ねて来た
作品に興味があってきてくれた
夕方朝日新聞社より
電話があり
25日の新聞にのる
との知らせ
今月に入って
良い動きが出て来た
何時もそうだが
僕が何もしないでいると
何も起こらない
何かを始めると
回りが動き始める
一歩づつ一歩づつ
歩きつづければ
何かがきっと起きる
それが真実ならば
きっと大きなウネリになって
日本は変わる
| ■ ユニット結成 |
| Date: 2008-06-12 (Thu) |
以前僕の作品を観て ”
とても感動しました”とメールをくれた
音楽家のタカヤマヒロヒコ氏が
伊豆の僕のアトリエに来てくれた
始めてお会いしたにも関わらず,
もう何年も昔からの知人のような雰囲気で
たったの2,3時間でしたが
楽しいひと時でした
僕は普段考えている
ことを一生懸命話した
彼はすでに僕の絵やブログを通じて
僕の理念や何かをすでに理解していた
お互い作品を通じて
共通の考えであることも
解っていた
芸術は表現手段のおもしろさや奇抜さでもなく
音や色,形から醸し出される
作者の匂い,癖,などの
他人を魅了する
オーラのようなもの
であること
そしてわれわれは音楽と絵画による
コラボレイションをこれから
試みようと
ユニットを結成する
ことにしたのです
これを通じて
大きなウネリが出来る
と信じています
| ■ 不思議な運命 |
| Date: 2008-06-05 (Thu) |
今日アメリカよりgoodな話が届いた
作品の話である
しかも高額な作品である
でもまだ信じていない
何時だって最後にどんでん返しを食うから
それにつけても不思議なことが起きる
何時だってお金もなく成り
どうしようかな
困り果てていると神様がやってくる
去年も末期の癌ですと言われ
必至に戦ったところ
2,3ヶ月で癌が消え
一年経った
一年目で有名な大学病院で検査を受けた
超有名な先生が最初から癌ではないと言った
そして沢山の医師が会合を開き
やっぱり癌ですと言った
僕はどうすれば良いのだろう
医者曰く
通常ではありえない
ことだから
今月から木版画展をやる
まだ売り出していないのに
何人も求めに来る
若い時からそうだが
僕がエネルギーを起こすと
どこからか人がやって来る
ひっそりしていると
誰もやってこない
一回か二回は誰でもある
でも62年生きている
そしてズーと絵描きでした
神様か仏様がずーと
僕を守りつづけている
この頃
自然を支配する
大きな力に守られている
と信じる
| ■ 芸術はひとめぼれ |
| Date: 2008-05-23 (Fri) |
暫く振りぶりに東京に行く用事ができ
ついでに昔世話になった銀座の画廊を尋ねてみた
二つの画廊がまだ生き残っていた
一つ目は僕が二十代の頃始めて
絵を売ってくれと頼みに
偶然に入った画廊の小僧
だった店主である
十年振りに再会であった
昔と何も変わらず
どうよ
景気はと尋ねると
まーまー駄目だね
何とか生きているよ
とにこにこと応える
絵を買ってくれた人達が年をとり
会社を退職し
買う人がいなくなった
ギャラリーを続けていること
が凄いと言う時代なのかも
知れない
もう一つも信用のある古い画廊だが
簡単にいえば親戚近所みんな年をとり
売るところが無くなった
言っていた
僕は帰りの電車の中で
寂しい日本の現実をみた思いをした
絵が売れない現実が寂しいのではない
ずーと昔から芸術は衣食住足りて
なおも足りない人間の
心の豊かさを求める欲求の表れだから
その証拠に古代の豪族達の墓からは
あらゆる種類の装飾品
壁に描かれた壁画など
世界中から発掘されている
その作品から古代の人々が
何のために
どうして制作したのかが推測出来る
アルタミラの壁画のように
祭礼の儀式のため
日本の高松塚古墳のように
墓の内部に描かれた美女達の舞いは
当時の豪族の自分が死んでもなお
美女達の舞う
豪勢な生活を夢見て
描かせたのであろうか
いずれにしても人間の
欲望の結果なのであろう
それにしても欲望の最たるものとは
モノや金に飽きたら」
精神性の満足感なのだ
芸術はこころの充足感なのだから
電車の中で感じた寂しさは
多分これだと思う
この作品を買ったらいくら儲かるか
でなく
まるで始めて出会う人に
一目惚れするように
その作品の心に恋をして
お金を出しても自分のそばにいてほしい
それが真実である
僕の作品はもう二十年近くもの間
殆どが外国人である
それは僕が何処の人か知らない
そして一目惚れなのです
| ■ 心みだれて |
| Date: 2008-05-12 (Mon) |
暫くブログを書くことが出来なかった
なぜなら精神的に書くような状況になかったから
前に僕が癌になっていて
余命三ヶ月程の命と宣告され
三つ目の病院で七つもあった肝臓の癌が
二三ヶ月で殆ど消え
一円玉程の大きさの癌が三つ残った
それもうっすらとボケて見える程になり
一年も経ったので
ラジオ派でいっぺんに取って
しまおうと
あの有名な国立のT大学に行ったところ
超有名な先生が
これは癌ではないと
そこで色々検査の結果七つの内
五つは今のところ良性腫瘍だと解り
後は入院して組織を取って調べる
ということで
連休前に入院したのだが
すでに一円玉達は死んでいて
解らなかった
ということで百%癌でない証明ができなかったのです
僕の心境は驚きと戸惑いで
落ち着いていられないのです
だってつい最近までがん患者で
いつか又癌が出て来る不安の中で
生きていかねばならない
そのためには何があっても
しっかりした侍の精神でいなければ
と覚悟を決めていたのだから
癌でなければ侍でいる必要がないのです
そこいら辺を風のように
あてもなくふいーふいーと
飛び回っていたいのです
生きていることはそんなに深刻なことではないから
つまらないことで腹たてたり 喜んだり 喧嘩したり
ある種の人生のゆとりなのです
切羽詰まった人はそんな元気もないのです
そんなことで
百%癌でないことが判明したら
今年後半の個展にむけて
がんばるぞと考えている
まーここまでくると
神様のいうとおりに
生きる
| ■ 青春の想いでからP2 |
| Date: 2008-03-15 (Sat) |
僕の乗っている列車はコンパーメントといって
一つづつ部屋が別れ
六人一部屋にポルトガルから
出稼ぎに来ている
車のセールスマンをしている男
そして故郷が一緒らしき
おばさん
アメリカからの老夫婦
そして南米ボリビアから来た
インデイオの顔した
医者
そして僕
英語と多少スペイン語のしゃべれる
僕はどの人とも
話すのを回りは
びっくりしていた
最初パリを出た頃はアメリカ人夫婦と
外の景色を見ながら
ガーデニングの話を
アメリカでも流行っている
ことなど
笑いながら話ている光景を
眼光するどく
なにを話しているのだろう
といぶかしげな顔をしていた
その内スペイン語で
車のセールスマンと話しているのみて
急に話に加わって来た
話しているとボリビアからパリに医学会の会合
出来ている
インテリだった
やがてコーヒーをごちそうするから
と別の車両に招かれた
そしてボリビアに来た時は
ここを訪ねてくれと名刺をくれた
こんなことでポルトガルまでの
旅はワイワイがやがや
と楽しく成って来た
又夜がやって来て
しばらくの眠りの後
ポルトガル領に入り
セールスマンとおばさんは下りていった
その代わりに女学生らしき
二人が乗り込んで来て
いきなり懐中電気で
寝ている僕の顔を照らし
オーラセニオール
どんな人か見させてもらった
とか言って
笑っていた
その内パスポートが無いとか言って
荷物を引っ掻き回し
僕にもいっしょに探せと言うのだ
僕は眠い目をこすりながら
何事かと探しているふりをした
やがて車掌がきて何事かしゃべって
帰っていった
こんなことだからゆっくりなんか
寝ていられないのです
只この旅行をしながら
僕はこんなにスペイン語も英語も
上手かったかな
と自分で驚いた
あんなにビビりながら歩いていた
青春時代
四十才を過ぎて
もう一度訪ねて来た
旅だから心が開き
それが他人にも通じるのだろう
言葉とは流著に喋るのではなく
心が通じさせる暗号にしか過ぎない
心を開くとこんなにも
通じることが解った
そんなことをしているうち
窓の外はうっすらと明るくなり
皆デッキに集まり
リスボンの町が見えて来た
とざわめいていた
| ■ 青春の想い出から |
| Date: 2008-03-13 (Thu) |
オレンジの香りと共にスペインの春はやってくる
町中が春風にのってオレンジの香りに
包まれる
パリから乗った列車は
見渡す限り黄色や紫色の絨毯
の大地が
春霞のなかを
うとうとしながら
列車の窓から眺めていた
この風景は永遠と続き
時折牛がのんびりと草を食みながら
永遠とつづく大地に
スローもションの一コマとなって
窓辺から消えて行く
頭の中がぐずぐず音を立てて
軽く成っていく
何もかもが自分の思う様に
成らない国日本
みんなそれぞれなのに
他人の感性さえもさえぎり
談合する国
こんなことに
うんざりして飛び出して来た
やがて夜の帳とともに
クシエットにもぐり込み
窓辺から見た風景
をおもい出し
眠りについた
多分真夜中だとおもう
肩をトントンと軽くたたく
のにびっくりして
目を覚ます
車掌がパスポートを集めに来たのだ
国境を超える度
検査の手間を省いてくれるらしい
やがて列車は止まり
暫くの停車の後
ガタンゴトンやっている
われわれの乗っている列車ごと持ち上げ
車輪を変えているそうだ
訳は戦争に成った時
フランスからスペインに直接
攻め込められないよう
レールの巾を変えているらしい
なぜかおもしろい
やがて右手に海が見え
静かな町並みが見えて来た
ピカソのゲルニカの舞台にもなった
あの有名なバスク地方
のビルバオである
何時間走ったかのかは
わからない
もうスペインである
僕の目指すポルトガルまでまだまだ
何時間もかかる
つづく
| ■ 全てはまぼろし |
| Date: 2008-03-09 (Sun) |
きらきらと輝く海面
遠くに大島が見える
ボーとかすんだ春霞の中で
鉛色に霞んだ波間に小さな船が木の葉のように
見えては消える
僕はイワシの丸焼きを
つまみながら
遠くの船は
何をしているのか
レストランの男に聞いてみる
あーあーあれは
あなたが今食べている魚を
穫る船だよ
僕はアマリアロドリゲスの悲しげな
心の底から振り絞った声で歌う
人生の悲しみ 喜び
この鉛色の海から
詩が生まれ
恋がうまれ
悲しみが生まれ
喜びがあり
人生がある
こんな詩の一節を想い浮かべ
海の端っこに位置する
ポルトガルのナザレ
右側にぐーんと突き出た岩の大地
今にもポキンと折れそうな程
其のあぶなかしげな大地の上に
建物がみえる
見ているだけでゾーとする
この海岸は左右一キロメーターほど
恋人達も目の前を行ったり来たり
海岸では土産物を売る人
穫って来たアジや何かを干物にしている
おばちゃん達
黒いほおかぶりに黒いブルーマのような衣装
円陣をつくりなにやら
笑いながら会話している
この海岸に
人々の生活があり
人生がある
こんな光景も若いときの記憶
あんなこと こんなこと
やなこと 嬉しかったこと
ついこの間の出来事
あっという間に過ぎた時間
全ては通り過ぎ
かすかに心の隅に記憶だけが残り
全てはまぼろしのごとく
| ■ 腹のたつ話 |
| Date: 2008-02-25 (Mon) |
最近僕はある人の紹介で
小さなギャラリーのオーナーに
会うことにした
此のオーナーと
東京にある
六畳一間程の小さなギャラリーに到着
した
あいにくギャラリーのオーナー
とは話の食い違いから
会うことが出来なかった
が電話で話すことができた
なんとも高飛車で傲慢な女なのだ
まだ会ってもいない
僕がどう言う経歴の持ち主かも知れないのに
そこいらの馬の骨呼ばわりなのです
その女オーナーが言うには
日本はずーと昔から現代美術が盛んで
世界的にもすぐれた作家を配出している
その証拠に草間弥生,だとか
ニューヨークのサザビーズで売れた
何とか言う作家を上げていた
だから日本は凄い
日本の現代美術を扱うギャラリーは
厳しく格調高いと息巻いていた
僕は40年以上此の世界で生きて来た
が日本にそんな土壌はどこにも
見当たらなかった
僕は若い時具象画を描いていた
その頃はの何も疑問を抱かなかった
しかし現代美術の領域に入った途端
市場は無くなった
もっともアメリカで成功しただの
マスコミが取り上げた作家を
扱うギャラリーはあった
今日本の漫画ブームで
ちょっと注目を浴びている
そこに目をつけたかどうか知らないが
ある作家がニューヨークで売れた
とテレビが報じる
イコール現代美術が盛んだ
といきりたつ日本人
アメリカ人達は
そんな風にみていない
只其のような作品を好む人がいても
別に良いし
僕は嫌いだけどね
と言ったぐあい
だって世界中のいない人種
はいないと言われ
色々な価値観をもっているのですよ
たった一人や二人の価値観に
アメリカ人の多くが反応などしないのです
日本人のようにアメリカが風邪を引くと
自分も引くなど無いのです
せいぜい上手い金儲けだな
ぐらいです
個人主義の国
アメリカ,ヨローパも含めて
みな個人主義です
自分の感性を信じて
自分を愛し,その心を磨き
輝いて生きていく
ごく自然の摂理に従っている
だから日本の様に一つの価値観に
多くの人が群がるなんて
あり得ないのです
芸術とは
恋人に一目惚れする
と同じなのです
| ■ 野菜ができた |
| Date: 2008-02-25 (Mon) |
今朝も窓からみえる庭にはひと際
目立つ緑の部分がある
去年の夏頃から雑草を一本一本抜き
耕し
荒れた土地を百姓の真似事をしたのです
抜いた草や木は焼き畑農業のまねで
全部燃やした
それに鶏糞と牛分を六袋分まき
ウネをつくり
サヤエンドウ,小松菜,春菊,ほうれん草など
蒔けるだけまいた
十一月頃まいた種は
今最盛期を向かえ
冬枯れの土地に
元気に美しく育っている
なぜか窓辺から見る
此の緑はとても元気づけられる
なんか豊かな気分なのです
だって庭にでれば
新鮮な食べ物が
育っているのです
中国の農薬がどうのこうのなんて
関係ないのです
僕ら子供の頃は
何処の家でも
じぶんの家で食べるものは自分で
作っていた
ごく普通の光景でした
僕はもう何十年も前から
試みていたが
なかなか上手くいかなかった
当たり前のことだが
一日中日が射さないと
作物は育たないこと
がハッキリと解った
庭の片隅の余った場所ではだめ
だったのです
小松菜にしても
スーパーのものとは
違い
子供の頃食べた味を
想い出した
懐かしさと安心さでことさら
美味しく感じるのです
僕のアトリエは木立の中に
建っているため
植物が育たなかった
昨年思い切って枝を落としたのです
枝を落としたことで
太陽がさしこみ
植物が育ち
今まで見えなかった海が
見える様に成った
今僕の庭には椎茸,なめこ.ポンカン,ミカン類を八本
何年か後には多分ミカンが
たわわに実ることを夢見て
小さな苗木を眺めています
| ■ 心は売っていない |
| Date: 2008-02-19 (Tue) |
胸がうす赤く体全体がブルーに覆われた
小鳥が一生懸命
エサを探している
名前は磯ヒヨドリと言う
近くに人がいるのに
気にもしていない
僕はさっきからずーと見入っていた
その美しさと
朝から健気に生きる
小鳥の動きにくぎ付けになっていた
子供の頃
スズメをみれば捕まえ
ミカン箱に入れ
風呂敷をかぶせ
朝見ると死んでいた
時々は悪ガキが集まり
スズメを捕まえ
毛をむしり
たき火をして食べたりした
子供心に可愛そうと感じた
けっしてウマいものとは
思わなかった
青春時代
ヨーロッパにいた
公園にいるスズメやカラスも
人の肩や頭に何の疑いもなくとまる
さすが文明国は違う
それだけで気後れしてしまった
今思えば鳥も人間も植物,動物,全ての生き物
はある場所,ある時は仲間であり
大事な友達
又ある時はごちそうになり
又喧嘩相手になりそして戦争にもなる
植物も小鳥も動物も自分の身を守るため
敵にも味方にも成る
でも一番やっかいなのは人間
色々な欲の固まりだから
おれが正しい
お前が間違っている
間違いも正当もないのだ
なぜなら答えはひとつ
両者とも欲を棄てれば良い
これが自然の神さまの教え
づーとづーと大昔
食べ物も道具もない時代
人々は食べ物を探しつづけ
人は獣や魚,鳥を
獣は自分達より弱いものを食べ
魚も鳥も同じである
でも人間は知恵があり種をまき
大量の食糧を得ることを考えだした
そのための道具さえも作り
創造する日々が続いた
全てが自給自足だった
そして人は体を使わず楽に生きることを覚えた
今お金さえあれば何でも買える
と言う人がいる
勝手にそうすれば良い
やがて体は弱り病気になり
お金が無くなった時
生きる意味をなくし
死んでいく
道具も機械も便利になり
限度も考えず
そのスピードを早め
そんなに急いで何処に行こうと言うのだろうか
身の回りの道具にしても
ワンタッチで何かができる
人間は知恵を使う必要がない
知識は先人達が創った
尊い経験をまるで
自分が創り出したような顔をして
それが教育だってさ
只頭にどれだけ詰め込められるか
これを引き出して上手く使う人を
頭が良いと言う
だったらコンピューターがある
やがて人は要らなく成る
只ひとつ人間に残されたのは
心です
人間の心は買えないのです
| ■ 自由の国アメリカ |
| Date: 2008-02-09 (Sat) |
最近フランスの新しく選ばれた
大統領が離婚をし
30何才かの元モデルと結婚した
などテレビで言っていた
それに対してフランス国民は
どう考えるか
等質問している模様が映し出されていた
誰もが良いんじゃないの
大統領だからといって
恋をしたらいけない法律はないから
が大勢をしめていた
これが日本だったらどうだろう
もっともそんなしゃれた男は
いないけれど
もう十五六年以上
アメリカと日本を行ったり来たり
しながら
彼らと何が違うのか
時々考える
白人系の友達にしても
個人主義が普通で
他人に日本人ほど関心を持たない
日本人は客をもてなす時
食事はどんなものが好きですか
から始まり
終わればお茶はいかがですか
おふとんを敷きました
何時に起きますか
が最高のもてなし
そんなことにアメリカ人達
とてもナーバスになり
ある場所から帰って来たことがある
自分は自分
構わないでくれ
おれらは好きなようにやる
おれらは他人のことにそんなに関心が無い
だって世界中の民族がアメリカに集まり
色々な文化,言語が集まった国
他人のことなんか関心が無い
今日本のマンガが世界中でブーム
だそうだ
確かにアメリカに行くと若者の間で
関心がある
でも何億人もいる内の一握りです
マンガ風な作品を
現代美術だと
言って
日本のテレビが取り上げている
日本人は凄いな
と言っている
確かに事実なのだが
これが芸術だとは
言っていない
一握りの人達の価値観なのだ
だって目新しいことの好きなアメリカ
何でも受け入れ
熱が冷めれば終わりなのだ
日本人のようにテレビでこれが流行ると
みんなして同じ服を着る
などありえない
芸術は人の心の中に
ときめきと癒しを与え夢と希望を育む
何かであると
信じています
一時の流行りなどに惑わされず
何千年の歴史の中で
個々に住みついた
遺伝子のようなもの
がリズムとハーモニーに乗ると
人を感動させる何かである
音楽も絵画もその他の芸術も
変わること無く流れている
只時代時代により
表現形式が違うだけである
| ■ 青春の思いで |
| Date: 2008-01-23 (Wed) |
ザックに顎を乗せ
夕方四時頃から十二時何分の
たった一本の夜行列車を待っていた
普通の昼間でも一日に一本か二本しか通っていない
大体定刻どおりなどまずない
最初の頃はもう一時間も過ぎているのに
なぜ列車は来ないのか
文句を言った
駅員はアキ,エスパニア!
逆に怒鳴り返して来る
なので一二時間待つ等は
ごく当たり前になってしまった
これが普通ーになると
なぜか回りの景色も人や動物達の動きも
ゆったりと感じる
自分もいつの間にか
時間なんかにとらわれず
足取りものんびりと心地よい
空間にいた
少女達は大きな輝く瞳で
オーラ,オーラと声を交わし
その瞳はなんの疑いも持たず
又男達は優しさに満ちていた
ある時何時も同じ土産物の前に座っている三人の娘
に何時もここで何が楽しくているの?
娘達はにこにこしながら
セニオールこそここで何をしているの
こんな青い空
と輝く太陽
おまけに私達のような美人がいるのに
何が不満なのと
諭されてしまった
昔日本にもこんな時代があったな
子供の頃だからそう感じたのだろうか
木々の芽が吹き出す春
やがてその緑の枝を通して
早春の風が吹き
花々が盛りを迎え
人々の心も何処か生きずいていた
夏は燃え盛る太陽と共に
子供達は水遊びをし
大人は木陰で憩い
こんなことが
何処にもあった
青春時代
スペインに居て
やっと探した自分の生きる場所
が子供の頃の日本にも
あった
今僕はもう一度
ゆっくりと自然をみつめ
残った人生を楽しみ
心豊かに生きたいと
願っている
| ■ 火は温かい |
| Date: 2008-01-22 (Tue) |
正月より風邪をこじらせ
遂にかるい肺炎になってしまった
何とも情けない話です
ようやく咳も止まり
ぼちぼち仕事を始めようかと
朝から薪ストーブにかじりつき
只だまってパチパチと音をたて
真っ赤に燃える炎に
無言で火を見つめたまま
居られる心地よさに
不思議ささえ感じてしまう
大昔から人々が炎と接し
時には大火災にもなり脅威の生き物であったろうな
でもこうして穏やかに燃える炎を見ていると
ずーとずーと何千年も続く人間の営み
の続きをやっているようで
なぜか安心なのです
諸々の生活の便利さは
僕らの子供時代と比べ
格段のさがある
たった五十年前
昭和三十年代のことです
此の頃は何処の家にも囲炉裏があり
居間には七輪があって母親が炭をおこし
少し赤くなったのを七輪に移す
それに冷たく成った手を温めていた
こんな風景は普通のことでした
今, 電車も車もテレビも家庭用品も
当時の先進国アメリカ,ヨーローッパをぬき
精度の良い工業製品を作る様に成った日本
でも何か生きることの大事な部分を忘れた
生きるとは人々が夢を持ち
日々の暮らしに明日を感じ
自分が生きている存在を感じ
生まれて良かった
素晴らしい人生だった
と言う社会が良い
生きて行くのにちょうど良いスピード
生きて行くのに丁度良い便利さ
何もかもお金さえあればの社会が
創造することを止め
体力を失い
お金がなければ明日がない
夢もなく
生きるとは夢の続きを日々繰り返すこと
自分の夢はじぶんの
大変だけど面白いのです
小さな夢が集まると
知らない内に大きな夢の現実が待っている
こんなことを火を見ながら
とりとめのないこと考える
| ■ 無題 |
| Date: 2008-01-04 (Fri) |
新しいコミュニケーションの形
Ichiro Uehara
画家 上原一郎のブログ
2007.12.30 Sunday
神々の国
神々の国
Date: 2007-12-30 (Sun)
正月が近づくと
子供の頃のことを想い出す
確か毎年28日頃の朝
ペッタンペッタン
モチをつく音が聞こえる
布団の中から顔を出し
なぜかウキウキした気分で
様子を伺う
寝ぼけ眼で大根おろしのだの
あんこだのをほうばる
そして親がしんみような顔つきで
井戸の回り,かまどの回りなどに
半紙をジグザグに切った神様への祈りの印
とお供え物の飾り持ちをそえ
最後に神棚にお供えして
手を合せ
お祈りする
子供心に親の真剣な眼差しに
戸惑いと不思議さを抱いていた
その他にも冬至には柚子を風呂に入れ
一月には七草と言って
色々な草を採りにいかされた
これを食べると一年中健康で過ごせる
と言われた
そして冬の行事で最大なのは
斉の神といってその年のお札
やだるまなど子供達で各家を回り
リヤカーに沢山集めて来るのです
そして竹を組
縦穴式住居のように立ち上げていくのです
これも全て子供達で
やるのです
年上の長が命令を出し
僕らはそれに従った
回りは藁で囲い
中はいろりを作り
火を燃やし
一晩みんなで泊まるのです
中でミカンを食べたりお雑煮を食べたり
しながらこの神の家をみんなで寝ないで守るのです
そして十四日の朝方燃やすのです
なぜかこれが終わると
少し大人に成った気分でした
これが終わると初午といって
狐の神様を祭る
神事など
そして夏のお盆
十月のお月様に祈る十五やなど
子供の頃は親達が心から
祈りをささげているのを
不思議さから原始的で頭が悪そうに変わり
自分の代にはこんなことを子供に教える
こともしなくなった
親と同じ年代になって
この頃思うのは
全てが便利になり
お金さえあれば手に入る時代
でもどこか無味乾燥な時代
たった5,6十年前まで続いた
日本の神々に祈る自然崇拝の理念
はテレビや洗濯機,車などにとって変われ
心から信じるものを失った
二千年余続いた神々の歴史が
もろくも崩れようとしている
確かに車もテレビも電車もそのスピードを速め
著しくその性能は良く成った
しかしその反面洪水を防ぐことは出来ないし
地震も大火災なども防ぐことは出来ない
人間にとって便利に暮らせることは
体は確かに楽なのだろう
でもその反面体を使わない分だけ
生きている実感が持てず
時の流れのままに生きるしかないのです
昔の人は太陽に感謝し
雨に感謝
風や火に畏怖の念をいだき
そして月に祈りを捧げたのでした
なぜなら自然は絶対の神様だからです
もう一度
僕は神様に感謝し
神々の国
を見直そうと思うのです
| 上原一郎 | - | 15:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.28 Friday
自分は自分
■ 自分は自分
Date: 2007-12-28 (Fri)
何故か最近昔のことをよく想い出す
病気をして死ぬかも知れないと
感じたことで
前進力が少し弱く成ったのかもしれない
考えてみれば子供の頃から
変わり者よばわりで
とてもやだった
なぜ自分の意見を言うと
変わっているのだろう
違うと言うのだろう
僕にはそう感じるのです
何時も疑問と心がもやもやした
そしてとても気になった
どこにも癒されることが無いことを知る
だからそのもやもやを日記に書き
絵を描き
モノを創ることで癒された
その延長で画家になった
青年期の頃美大を辞め
外国に旅立った
そこには何の違和感もなく
自分がいることに気づいた
自分が自分でいて良いのだ
そしてある時
スペインの町でのこと
いつも椅子に座っている三人の娘に何が楽しくて
ココに座っているいるのかと
聞いてみた
彼女達は大きな輝く瞳で
にこにこ笑いながら
セニオールこそなんでそんなことを言うの
こんな青い空と輝く太陽があって
おまけに
私達みたいな美人がいるのに
後に帰国してから
そのことが頭から離れなく成った
人間はみないつの間にか基本的なことを忘れ
生きる目的を忘れる
太陽と青い空があれば
ちょっとした食べ物と
ちょっとした恋人がいたら
最高なのに
あれもこれも
欲しがるもんだから
きりがない
このためにエネルギーを燃やし
疲れ果て
死んで行く
鳥の声さえ聞こえない程
只忙しく
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| 上原一郎 | - | 14:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.24 Monday
芸術の意味
芸術の意味
Date: 2007-12-24 (Mon)
僕の家の窓からは海が見える
冬の季節には大島と利島,新島
後なんだか解らないけど
伊豆七島のうち四つ位がみえる
空気のきれいな此の季節には
大島の信号さえも見える
ずっと空だろうと思っていたら
それが最近
海が続いていることに気づいた
寝起き眼で遠くを眺めていると
朝の静けさの中で
メジロがシジュウカラを引き連れて
クヌギの小枝でチーチーと鳴いている
もう十年近くも住んでいるのに
忙しさの中で
日の出の美しさ
日の暮れる美しさ
この小鳥の声さえ聞こえなかった
自分に心の余裕がないと
こんなことさえ途切れてしまう
ことに気ずく
あまりに夢中に成り過ぎて
疲れ果て
病気になってしまった
今もう一度
夕焼けに感動し
小鳥の声に心地よい眠りから覚める
生活を取り戻したいと思う
こんな中で何時も頭から離れないことがある
芸術と言う意味についてである
人は皆恋をし
心を焦がし
ある人は恋にやぶれ
ある人は恋を結び
人生を共に歩む
こんな簡単な日常の出来事を芸術という
たまたまピカソのように有名な評論家かなにかに恋をされ
それを聞いた人達があの人が恋する
画家ならきっと凄いに違いないと
競って買った結果
有名になっただけである
一般の人にはピカソの魅力はそう簡単に解りはしない
これを知るにはヨーロッパの歴史を知らなくては
理解出来ない
簡単に言うと
10世紀以前のヨーロッパの芸術の歴史は
宗教を伝えるための道具でした
イコン画であり
文盲の人々にキリスト教の教えを
教会の壁に絵文字として
教会から教会に描いたフレスコ画
人々は教会を巡礼をしながら
バイブルの何ページから何ページまでは
何処何処教会に描いてある
と言う風に理解したのです
そして此の頃の絵の様式は子供の描く絵
又はエジプトの壁画などに表されているように
すべて平面描法(二次元)なのです
その後宮廷を中心に
宮廷の生活を後世に残したい王様の欲望を満たすため
ベラスケス,やリューベンス,ゴヤなどの
宮廷画家が必要に成った
それはまるで今生きている様に描け
と言う命令のもとに
創りだした様式が写実画(三次元)である
その後カメラの発明とともに
その必要性がなくなった
ここからがタブローと言って自由画(近代芸術)の始まり
なのである
17世紀になると
写実以外にどんな方法があるかと
芸術家達は
あらゆる方法を試みた結果
印象派であり,ホウビズム(野獣派)点描派その他諸々の
実験絵画が出やがてピカソのキュウビズム(立体派)
まで
永遠と続いたのです
しかしどの派も一つの自然が創り出したシステムを利用しているのです
それは全ての芸術に共通のリズムとハーモニーなのです
人間は音でも色,形でも大きい方から小さい方に
低い音から大きい音に
それを上手く調和させると
心地よいということに
共通の感性を感じたのでしょう
そしてこれらは自然から拾い出した
音や色,形なのです
そしてこれらは
表現方法であり
芸術家の心を伝えるための伝達手段に過ぎません
つまりピアノがどんなに上手に引けても
どんなに絵が上手く描けても
芸術とは言わないのです
芸術の真の部分は
これらを用いて創りだされる
芸術家の匂い,あるいは癖とでも言う
説明の出来ない魅力
を言うのです
つずく
| 上原一郎 | - | 12:44 | comments(1) | trackbacks(0) |
2007.12.22 Saturday
散歩の途中で
■ 散歩の途中で
Date: 2007-12-22 (Sat)
今年三月僕はガンになって
危うく死ぬところだった
なぜなら末期の肝臓癌だったから
普通なら多分だめでしょう
でも僕は七個もあった癌が
二ヶ月程で殆ど消えた
今こうして何事も無かったかの様に
過ごしている自分に驚いている
助かった訳には色々な
運命的なものが
作用している気がする
人間の運命は自分以外の不思議な糸により
操られている
これを神様の仕業というのかもしれない
もう一つは絵を描くことだけに人生を掛けて来た
ことにより
まだまだやることが沢山あり
病気などに負けてたまるか
と何時も考えていた
からかも知れない
まだ走っている途中なのです
最近体を鍛えるため
散歩を始めた
車ばかり乗り足腰が弱っているせいか
最初は一キロも歩くのがやっとだった
今は早足で五キロほどのダムの回りを
歩いている
今まで見たこともない小さな世界が見え
けっこう楽しいのです
色々な木の名前が名札に書かれ
それを確認しながら
幼い頃あの実を食べたな
アマヅっパイ赤い実を食べた子供の頃を
想い出し
なつかしさを心につめて歩くのです
こんな幸せはちょっとした
ご褒美かもしれない
ああもう60も過ぎてしまった
大したこともしていないのに
死んでたまるか
後何年位生きられるか等と
考えると
生きるとは自分の人生とは
何なのか
ずーと以前から人は生まれた時から死と言う
終わりがくると
知ってはいたが
確実に第四コーナーにさしかかっているな
と思う
ついこの間四十才でした
そして此の伊豆にきてすでに十年が経とうと
している
後十年か二十年でこの世から消えると
思うと
のこった人生を思いっきり生きて
最後まで走っていこう
それが自分かも
と
| 上原一郎 | - | 11:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.15 Saturday
芸術とは
芸術とは
Date: 2007-12-15 (Sat)
僕は15才頃より本格的に
絵を描くようになった
それまで幼い頃より日記の延長で
絵を描き
小鳥小屋の延長で家を創り
日記の延長で文章を書いている
絵は最初のうちは目に見える世界
感動した世界を心のままに描いていた
建物も小鳥小屋ぐらいまでは
適当で遊び半分で出来るが
人間が住むとなると
真剣に勉強しなければ
ならなくなった
絵も同じでこれを職業と意識するようになると
あーでもない こうでもない
と考える様に成った
考えれば考えるほど解らなく成った
青春時代
僕は学校を止め
外国に渡った
そこにはおおらかに
純粋に生きる人々の瞳があった
そして知ったことは
経験し感動したことが自分の体に残り
実の部分だけがエキスとなり
心を育ててゆくことに気ずく
生きることは解った分だけ進めばよい
悩んだり 苦しんだり
面倒くさいが生きることとは
こう言うことだと知る
だから僕の絵は解った分だけ
心の感動を紙に木に刻み続けているのです
箱根の風景が美しい,
女の人が美しい
から
自分の考えている思想,哲学 夢 希望
これらは全て僕の心の欲求であり
言葉や文章で言い表せる何かである
こんな時代を経て
僕の思いは真実は何かが知りたい
僕が何なのか知りたいのです
だから生まれ育ってから知り得た
知識,言葉,文字などは生きるための
方便であり
もともと生まれついたモノではない
こんなことを沢山知っていたからって
どうってことはない
なぜなら知識は僕らの先人達が
大変な苦労の末に勝ち取った
経験の結果だし
言葉も文字も不便さの故に考え出した
人と人とのコミにケーションの道具だから
芸術はこれらを取り除き
企ても意図もなく
只無意識で丸裸の自分が光り輝き
他人までも此の輝きの虜にする
心の技である
だから芸術は心を
磨き上げた結果である
だから芸術家は心で刻み
それを見る人はその芸術家の心を感じた時
恋をする
こと
そこには芸術家と鑑賞者の間に愛が生まれ
恋をするのと同じなのです
だから芸術とは教わったり
教えたりすることが出来ない
たった一人の人生を生きる
孤独な作業なのです
| ■ 家を創る |
| Date: 2008-01-04 (Fri) |
2007.12.13 Thursday
家を創る 最終回
家を創る 最終回
Date: 2007-12-13 (Thu)
工事に取りかかってから二回目の春
を迎え
何よりも先に住むところを急いだ
部屋の間仕切りにブルーシートを張り巡らし
寝るところを作った
これであの気持ち悪い借家から
おさらばすることが出来た
昼飯は庭で飯ごうでご飯をたき
みそ汁を作り
何日も他人と話もする機会もなく
孤独な日々がつずいた
それでもご飯を食べていると
小鳥がやって来て
手の届く範囲まできてエサをねだる
姿に心も癒された
彼らは毎日やってくるようになった
ある時近くの一本の木に鳩が巣を作り
じっと卵を温めていた
二三週間後にヒナが生まれた
それまでの間かならず昼頃ご飯をねだりに
やってきた
やがてこの鳩の親子は四羽になり
建物が完成した後も
玄関をチョコチョコ歩いて入って来るのです
此の頃になると
僕は鳩の心をかなり理解するように
なった
大体アトリエを一回りし
僕の差し出した米を食べると帰っていった
ある時散歩をしていると
家の近くでゴロッポ ゴロッポ 鳴くので
見上げると鳩が僕を見て鳴いているのです
僕は勝ってにつけた名前
ポッポっチャンと呼ぶと
ぼくのそばに舞い降りて来たのです
此の頃もう二回目の夏を迎え
僕の心は孤独と体力と夢の間で
神様に近づいたような不思議な感覚の中にいた
これは絵を描く時にもやっってくる
感覚なのです
ある時間まで夢中になっている間
肉体的にも精神的にも大変苦痛なのだが
それを通り越すと
不思議なリラックスした無意識にコトが進む
世界に入るのです
すると知らないことも経験のないことも
自然に出来ているのです
これは創造する全てに起こる気がします
だから僕は絵を描く時は
此の時がやってくるまでひたすら描きつづけるのです
その間のことを僕はデッサンと呼ぶのです
これは自分自身の精神の高まりを言うのです
これまで僕は四回建物を造り
一回目は二十代
二回目は三十台
三回目が四十台
四回目が今回の五十代である
なぜなのかは解らないが
木を見ると本能が騒ぐのです
そして此のための疲労のため免疫力が低下したためか
二度のガンにかかり
死に損なった
ただここでも神様は僕を見捨てなかった
まだ創造せよと
言うことだと思う
そんなことで約二年半も費やして
大体は完成した
おわり
| 上原一郎 | - | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.10 Monday
家を創るP6
■ 家を創るP6
Date: 2007-12-10 (Mon)
春から始めた工事も秋を迎え
若葉の季節の清々しい
頃から始めた記憶だけで
夏の暑さも
秋の紅葉の美しさも
何も目に止まらず
只ひたすら
工事をつづけた
ボルト閉めだけで一周間も
かかり
建物の大きさに改めて驚いた
又一人でやるのは
能率が悪い
高い所での作業は
下から材料を上げていかなくてはならず
この時間と労力は大変なものでした
一年も工事を続けていると
資金も底をつき
この先これを進めていけるかの
不安との戦いでした
幸いなことに
お金がなくなると
何処からか作品の依頼があり
続けることが出来た
一年も過ぎると体は慣れてきて
大分楽になってきた
過去に家を創った時に比べて
次から次ぎへと閃いていた
もうこうなると自分の意志でなく
神かなにかが自分を動かしているような感覚
を持つ様に成った
何せ僕は大工の修行などしたことが無いのです
只子供の頃より小鳥小屋を造り
物置をつくり
年がら年中何かを創っていたので
なんの抵抗も無く
この延長戦上でのことと考えていた
最初20歳代の頃
自分のアトリエを要らなく成った廃材を
かき集め
古い穴に柱を立て
進めていったが
材料の足らない部分は新しいモノで作る
必要が出て来た
そこで始めて仕口を覚え
これならおれも出来ると
思ったのです
この時は建築の知識など全く無かったため
風が吹くと屋根が飛ぶのではないか
雨が降ると雨漏りがしたりして
なぜこうなるのか必至に勉強した
次の時は仕口を盗みとるため
工事現場に行ってその部分をじっとながめ
それを頭にいれノートに書き写していった
そして構造学なる本を買って来て
夢中になって読んだ
結果普通の木造の建物は
特殊な建物以外
こんなことは必要ないことも解った
なぜならその寸法に
大体材木屋でカッとしてあるのです
せいぜい梁の寸法が柱から柱間(スパン)の長さで
何センチのセイの梁が必要だと
言う位のことである
後は筋交いの位置と方向
此のくらいが知らなかったことで
あとは見よう見まねで殆ど知っていた
考えてみれば
僕らの子供の頃の家は
石ころの上に土台を乗せて
柱をたてた簡単な構造で何十年も耐えた
シンプルな家でした
そして壁は土壁で
梅雨の頃は湿気を吸収し夏にはそれを少しづつ
放出して温度を調節する
すぐれた日本建築の知恵でした
今の建築はアメリカなどで主流の2x2工法
などが地震に強いため
多く普及しているが
言い方が悪いが
総ベニア造りなのです
アメリカなどは梅雨がないため
これでも腐らないのです
日本では長い年月持つとは考えられなのです
つづく
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| 上原一郎 | - | 15:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.10 Monday
家を創る P5
家を創るP5
Date: 2007-12-09 (Sun)
建前は材木屋さん,設計士,弟,友人達がやってきて
朝から緊張していた
なぜなら仕口がきちんと入るか
心配なのだ
柱を立て
梁を一本一本はめ込んでいくと
最後の柱間が四十センチ程開いているのである
それを見て昔大工だった
手伝いのおやじが
しょうがねーもう一本作り直そうよ
などと言うもんだから
がっかりとそんなはずは無い
とが交差して緊張はピークにたっしていた
でも梁のはめ込みが真ん中を過ぎると
少しずつ間隔はせばまり
最後にぴたりとハマった
一日で60パーセント近くは進んだ
があくる日は皆引き上げて
帰ってしまった
これで少し体を休めようと
したのだが
汚い借家に帰っても
気が休まず
昼頃からやって来ては
ちょっとやる
こんなことを二三日つづけていた
骨組みが完成するまで
かなり時間がかかった
体の疲労によりテンションが下がり
作業がはかどらないのです
なぜか気分が落ち込んで
やる気がないのです
建前から半月が過ぎ
やっと屋根工事に取りかかった
やねは45度こう配のため
怖くて外からでは屋根材をはることが出来ず
内部にやぐらを組
90センチづつ一列に体を逆さまにして
進めていった
この屋根工事に2,3週間かかった
そしてこの屋根材のノリの匂いに
鼻は感覚なくなっていた
そのせいかどうかは知れないが
一年ごに鼻のガンにかかってしまった
つづく
| 上原一郎 | - | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.07 Friday
家を創る P4
■ 家を創る P4
Date: 2007-12-07 (Fri)
ふかふかの腐葉土をどかし
その後に赤土とバラスを敷き
ランマーなる圧縮機を借りて来て
土建屋のおじさんのような顔して
トッカン, トッカンと土を固めるのです
その上に湿気が上がらぬように
ビニールを敷き
更に玉石を一個一個敷き詰め
やっと鉄筋を這わせるところまで
たどりついた
そしてこの鉄筋をタテとヨコを針金で縛る
のだが25センチピッチで35坪程の全面
を結束するのは腰が痛く
やってもやっても終わらない
やがて近所の建築関係の人がきて
一人でこんなコとしている人
みたことない
こういうのは普通
おおゼイでやるよ
などと言っていた
勝手なこと言ってラアー
と僕は黙々と一週間ほど続けた
それが終わると
基礎の型枠造りに取りかかった
そしてやっとコンクリートを打つことに成った
その頃は体中痛く
疲労はボコボコに打たれたボクサーのようであった
それでも10トン
近くもあるポンプ車が次々到着すると
ある種の興奮状態にはいり
生コン車が次から次へと5台も6台もやってくると
今おれは凄いことをしているな
と実感した
あんなに複雑な工程を繰り返したのに
全てはまるで汚いものが雪で覆われたかの様に
さっぱりとしたコンンクリートの
平面に変わっていた
そして建前まで一週間程
休むことにした
つづく
| 上原一郎 | - | 11:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.06 Thursday
家を創るP3
■ 家を創る P3
Date: 2007-12-06 (Thu)
三月から始めた刻みも梅雨に入り
工事現場にシートを張り
こつこつと刻み続けた
雨があがると
蚊が体の回りを真っ黒にむらがった
でも僕はどういう訳か
蚊に食われないのです
こっちの情熱に寄って来れないのかも知れない
近くに寝場所として
古い建物を借りていたのだが
そこがジメジメしていて
僕がこの世で一番きらいなネズミが
沢山いるのです
ある朝寝ていて
うっすらと目を開けたら
一メートル位の窓の外から
大きな猿が窓にへばりついて
僕を凝視しているのです
僕はこの野郎とおもい
何かモノをぶっつけようと探していたところ
猿はすたこらさっさっと逃げていった
この家は温泉が常時湧き出ていて
湿気が凄いのです
二階は僕の一番嫌いなネズミが
何時も運動会をしているのです
ある朝現場に向かおうと
ドアーを開けたところシューシューと水道
が漏れているような音の方向に
目をやるとマムシが僕をめがけて
飛びかかろうとしている
僕はとっさにそばにあったスコップ
でたたきのめした
又ある時
毎朝生卵でご飯を食べているのだが
帰って来ると殻がひとつ増えている
多分疲れているので気のせいだな位に
思っていた
そして僕のいない家に建物の資金の入った
貯金通帳と印鑑
その他が置いてあった
ある時壁にかけてあった
昔イタリアかどこかで買った革ジャンが
無いのに気づいた
幸い貯金通帳は盗まれなかった
そこで始めて泥棒君が僕のいない間
こたつに入り
ご飯を食べてテレビを見
温泉に浸かって過ごしていることに気づいた
そんなことで
工事は早めなければならず必至になって
休むこと無くつづいた
柱の刻みもおわり
夏が近づく頃には
我が土地の檜林を建物の建つ広さ程
伐採し始めた
そして残った根っこを
アルバイトを使って
重機で抜く作業に三日ほどかかり
基礎を打つ部分は
ふかふかの腐葉土で覆われている
ため
土を入れ替える作業に移った
粘土質の赤土とバラスを何トンも
ふかふかの土の上にコンパネを敷き
一輪車にのせちょっと高さの違う基礎部分
に何度もかけあがった
今思うとこの頃はやたら元気であった
自分の夢に向かう
気持ちが体中に充満していた
| ■ 無題 |
| Date: 2008-01-04 (Fri) |
踊り子の歩いた道
■ 踊り子の道を歩く
Date: 2007-11-23 (Fri)
カサコソ,かさこそと落ち葉を踏みながら
天城路を歩いてみた
顔がとても冷たい
右下にザラザラと沢が寒そうに流れている
つい二ケ月程前まで涼しげで
心地よかった水の音が
黄色や赤く染まった
木々の葉を通して
寒々と
聞こえて来る
青くすんだ空の隙間から
所々色ずんだ天城の山々
がなぜか
わびしく感じる
川端康成の踊り子
のモデルに成った
あの道を歩いているのだ
この天城越えを舞台に
踊り子と大学生の
恋の物語が生まれた
という
実話だそうだ
昔はみんなこうして自分の足で歩き
山を越えて
その途中に恋が芽生えたり
追いはぎにあったり
たったの十キロメーター程の距離
でも一日がかりの大変な旅
であったろう
そして河津の村に出てそこから下田まで
踊り子は歩いていったそうだ
下田から大島に帰る為に
そんな地元の人の
説明を聞き
昔に思いを馳せながら
提灯に火をともし
踊り子も通ったトンネルを
歩いた
小説の舞台とともに
ひと時のノスタルジア
に浸った
一日でした
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| 上原一郎 | - | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.11.21 Wednesday
アメリカからの便り
■ アメリカよりの便り
Date: 2007-11-21 (Wed)
先日アメリカの友人より電話があり
以前僕が個展をしたことがある
ギャラリーが他の場所へ移動した
その場所を以前僕の絵を買ったことのある人
が受け継いだ
その人が僕の展覧会を期限なしで
開きたいとの
話
僕は喜んでOKした
後日仲良くしている
アーテイストが自分のトラックで
会場まで運び飾り付けまで
やってきてくれた
おまけにBIOだとかコメントだとか
他の友人達が手分けして
作成してくれた
温かい心ずかいに
感激です
免疫力が倍加しそうです
日本ではアーテイストと言われる
人達が
何を勘違いしているのか
えばりくさり
どこどこの芸術大学を出たとか
どこそこの美術団体の審査員だとか
僕の目からは不思議に映るのです
芸術とは
個人の人格から生まれる匂いのようなもので
決して皆で談合して
あの人が一番でこの人が二番
なんてないのです
なぜなら芸術に感動するのは
初対面の人に恋するのと
同じだからです
この意味で
日本はまだ後進国だと
言わざるをえません
人はみな生まれながらに
して個(DNA)をもっています
僕らは世界でたった一人
の個なのです
だからさみしいのです
だからすごいのです
この私達が生きているのです
だから
バカもチョンもないのです
どんな弱い人も
どんな駄目な人もないのです
ちょっとエサとりがへたダケです
ちょっと物覚えが悪いだけです
こんなことは大した問題ではない
生きると言うことは
自分のリズムを知り
自分なりに生きる
すると
自分の個(DNA)を知り
自信が持てるのです
| 上原一郎 | - | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.11.21 Wednesday
癖はなおらない
■ 癖はなおらない
Date: 2007-11-19 (Mon)
子供の頃
母親が正月用に買って来てくれた
セーターの色が寒い感じがしておまけに科学的な変な匂い
がした
一年に一度程しか買ってもらえない
セーターを着ず
ぼろぼろになった
赤と茶の入った米軍のお下がりかなにか
でボタンが赤く
ちょっとしゃれていて
凄く気に入っていた
それを友達達から
ボロセーターボロセーター
と馬鹿にされても着ていた
そんなことで
母親からは変わり者の解らずや
呼ばわりされていた
この癖は62才に成った今も何ら変わらず
自分の納得出来ない事には
動こうとしないのです
そんなことで
子供心に悩み続けていた
反面いつも自分の心が
最終的に決断を下す
ことも解っていた
だから
全てのことに情緒的にはならず
自分の心が判断するまで
その時間を待っている
癖がついている
この癖は30代に入って
プロの画家として活動しはじめると
その能力を発揮しはじめた
1枚の作品を描き上げると
その作品が自分で良いできだとおもえば
それ以上にはならない
でも僕には納得しないと先に進めない
癖があるため
しつこく納得するまで描き続けるのです
決して理屈づけや情感で判断しようとはしないのです
やだからヤナなのです
他人からみてどうかなんか関係ないのです
長い年月この気に入る, いらない
をやっていると
自分自身のこの感情のなかに
芸術上の大事な要素が含まれて
いることに気づいた
それは例えば花が美しい, 風景がきれい, あの女のひとが美しい等
視覚上美しいことは情緒的な判断
何気ない心遣いに感動,
目に見えない口では表現できない
感動
それは何時までも心の奥に住みつき
なにかの時にふつふつと沸き上がる感動
それは目に見えない
形にならない
心が喜ぶモノなのです
これは一過性のモノではなく
永遠性のあるものなのです
| 上原一郎 | - | 17:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
| ■ 無題 |
| Date: 2008-01-04 (Fri) |
新しいコミュニケーションの形
Ichiro Uehara
画家 上原一郎のブログ
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2007.11.17 Saturday
私の人生(芸術)とは
ときどき思う事
Date: 2007-11-16 (Fri)
ああ言った こう言った
頭にきた
何時の頃からか
他人からの批判,悪口など
だまって聞いている様になった
若い頃は体が反応して
体罰で返していた
今は言われ放題
他人は皆自分と違う人種に出会うと
戸惑いと違和感を覚えるらしい
そばに居るだけでエネルギーに圧倒される
とか
皆自分の築いてきた小さな世界観で
他人をみている
自分も又そうである
だから他人を批判したり, 罵倒することは
自分の世界観を説明しているのだ
僕はときどき思う
何億年も昔
言葉も文字も確立していなかった時
又僕らが赤ん坊の時代を想像すると
せいぜいアーとかウーとかと身振り 手振り
で意思を伝達していた
この頃は心と心で話していただろう
心が伝達手段だから
悪い人,怖い人,良い人
など体全体に表れていた
そして日夜あれも創ろう, これも創らなくてはの
クリエイトする日々が続いていた
であろう
殆ど生活するための道具であった
ただたまに部落の長が死んだ時など
冥土の土産に
死者の魂があの世
で豪華にきらびやかに生き続けるように
調度品やら墓の内部に描かれた
高松塚古墳のように
描くことの得意な人が
芸術家として存在したのかもしれない
文字をあみだし,言葉を創り出し
遠くの人との伝達も可能になった
そして時代は変化, 進歩を繰り返し
ヨーロッパにおいては
人々を掌握するために
宗教が人々の隅々まで行き渡り
文字が全体に行き渡るまでの間
教会を中心として
天井画や壁画により
文字の読めない人々まで聖書の内容が
理解出来る様になった
又宮廷でも今で言う
お抱え写真師が
必要であった
彼らはカメラの代わりに絵筆をにぎり
王様とその家族の様子を
後世に残すよう
命じられたのです
その後カメラの出現により
その役目は終わった
その時から芸術が始まった
人間は網膜上ではカメラと同じだが
心で編集して見ているので
カメラと違う
そして多くの芸術家が
色々な手法でアーでもない,こうでもない
と言いながら現代に到っている
こう考えると
芸術とは心で創ったモノを心が見ること
だといえる
ただ芸術はそれだけでは
創造出来ないのです
自然が創り出した宇宙の摂理
リズムとハーモニーを
感じ取らなければ
伝えることが出来ない
そしてこれは教えることも
教わる事も出来ない
ただ自然の一部になれれば
感じるかも知れないのです
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■ 感激
Date: 2007-11-15 (Thu)
箱根の秋は青く輝く芦ノ湖の
回りを黄色や赤く色づいた木々が
日の光を浴びて湖に映し出されていた
十国峠から左の眼下に沼津の町を見下ろし
その向こうに半円を描く様に駿河湾がつづく
右は熱海の町を通して相模湾である
そして真っ正面に富士山が
堂々とすそ野まではっきりとせまってくる
まるで雲の上から眺める景色に
心もとろけそう
芦ノ湖の回りを心をとろりとさせながら
歩き
大湧谷の景色は硫黄の匂いとともに
遥か昔
子供の頃を想い出し
懐かしさと自然のもつ不思議さに
感激
あーあーどうやったって
自然にはかてない
帰り道十国峠から夕日が沈むのをみた
朱色に染まった雲の色々な形
その遥か向こうに真っ赤に光輝きながら
地平線の向こうに消えていった
その姿が消えるまで
身じろぎもせず
じっと見つめていた
宇宙のゴミにもなれない
自分という存在
自然は何億年も変わらず
朝とともに太陽は輝き
そして夕べには
その姿を隠す
変わる事無く
どうしたら
良いのだろう
自然に近づくには
なんと美しい風景
涙が出そうなほど
すばらしかった
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■ 心
Date: 2007-11-11 (Sun)
小学生の頃だとおもう
上野の西洋美術館かどこかで
絵を観た
その中の何点かの中に
土とゴミを混ぜ合わせたような
絵の具で描いた
温かく,
ユーモラスで
その画家の心の中にとけ込み
色々な話を聞いてもらえそうな
広い心の持ち主に
子供の心に感じたのです
後にその画家の名前はデ,ビュッフエ
と知った
他にも日本人の写実的な作品が並んでいたが
何だか頭が良さそうで近寄りがたい気がした
デ,ビュッフエに出会った事で
あんな感じの人間になれたら
良いなと
思い始めた
子供心に
絵は写真のように忠実に
模写することでもなく
その作家の人柄や精神が
画面を通して伝わって来る
事を知った
それから
どうしたらあのような豊かさを
習得できるか考える
ようになった
画面を通してその作家の精神が吹き出る
ということは
勉強しても訓練しても
駄目なのです
只ひたすら
自分が何か,何者なのか
タマネギを剥く様に
真実の自分を探して
終わりの無い
人生を旅する
ようなもの
いろいろな衣も脱ぎ捨て
心(精神)=DNAにたどり着いた時
何か匂いのようなモノを放つ
不思議な魂なのです
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■ 古代へのおもい
Date: 2007-11-10 (Sat)
ジーと空を見つめていると
何処からとも無く黒い雲がやってきた
やがて何処からとも無く
びゅーと風の音
それは序所に強さを増し
立っていられない
そまつな家々は吹き飛ばされ
人々は木々にしがみつき
恐怖におののく
やがて木々のこすり合いから
火が起こり
辺り一面焼き尽くす
そして沢山の人々が死に
息つく暇もなく
パラパラと雨が振り出し
昨日も雨 今日も雨,もう数えきれない程雨が降り続く
あたり一面 川となり,ブタや鳥が死体となり
流れて来る
僕は高い所を探して
息をゼイゼイ言わしてはい上る
そしてついに天に向かって
僕が何を悪い事をしたのでしょうか
ごめんなさい
悔い改めますから
もう
風の神様,火の神様,そして水の神様
助けて下さい
それから僕ら生き残った
人々は毎年
神様が天罰を下す前に
お供えものをして
心から御祈りする様に
なったのです
それからというもの
僕は自然の掟を信じ
るようになった
自然とは何か
大地や空
太陽,風,雨が自然と言うなら
僕も小さな自然のかけら
雨がふり草木は喉をうるおし
太陽はその大地に栄養を与える
風は火をおこし
大地を焼きつくしもする
でも暖をとり,冬の寒さから守ってくれる
すべて自然はこの大宇宙の摂理
に従っている
僕はこの宇宙の小さなゴミ
この掟に従がいたいと
自然とは無意識である
無意識は美しい
無意識とは魂胆がない
僕らは皆
生まれた時
古代の人々と同じ
自然に対して,恐怖,驚き,喜び,といった感情
で反応する
やがて生きるが為
言葉を覚え,文字をしり
知識を貯え
知恵を使って
じぶんを守ろうとする
草木は文字も言葉も持たない
でも太陽を求め,雨をもとめ
子孫を繁栄し
神の創った摂理に従う
言葉や文字は古代では確立していなかった
古代では人間も
草木と意思は伝わっていたかも知れない
文字や言葉を創り出した
人間は
草木にも人間にも
生まれ持った個(DNA)があることを忘れ
他人の外見,雰囲気,言葉尻
で判断しああ言った,こう言った
とあちこちで喧嘩,戦争が絶えない
言葉や文字は人間が創った
最高のコミニュケエイションである
そして最悪の
伝達手段でもある
何故なら人間の個は世界でたった一人しかいない為
他人の個(DNA)を理解する事は出来ないのです
只他人に深く愛情を持つ事で
近づくことはできる
だから他人をののしったり,罵倒しても
所詮自分の個と今まで培った知識で
自分の心の内を暴露しているだけ
自然は自分勝手じゃない
自然は無意識である
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■ 人生(芸術)についてP3
Date: 2007-11-09 (Fri)
田んぼのあぜ道を散歩していると
何時の日か嗅いだことのある
懐かしい匂いが遠くの田んぼからやってくる
それは稲わらを燃やす匂い
子供の頃の情景が
薄墨色に暮れ行く田んぼの向こうに浮かぶ
一本だけ取り残された木が黒いシルエットになり
さらに遠い昔を想い出す
遊び疲れて暮れ行くあぜ道を
遠くの家からはご飯を炊く
煙と匂いがたちこめ
家路についた
思いで
何時の日からか
僕の作品はこの子供の頃の情景が
無意識に出て来る様に成った
食べ物も,モノも
何も無い時代であった
だからこそ自然と一体になった
ああーしたいこうしたいが思うに成らず
全て創りだすことを考えた
自分の気に入るまで
何度もなんども
売っているモノと違うけど
僕は気に入っていた
今も同じ事をしている
子供の頃から青年期を通して
外国での生活
沢山の悲しみ,沢山の喜び,
何度かの死の淵を彷徨ったこと
これらを通して
生きると言うことは
痛いだのかゆいだのぎゃーぎゃー,ぴーぴー
言うことだと気ずく
人は終末が近ずくと
過去を振り返り
昔を懐かしみ
寂しくなる
若いということは
どうでも良い事で怒ったり,騒いだり
余裕がある
だから人間はそんなにリッパにならない方が良い
だって人間は死ぬ時は全てを許し
あきらめるから
つづく
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■ 人生(芸術)についてP2
Date: 2007-11-08 (Thu)
子供の頃よりああしたい,こうしたい
がつよくそれを叶えるため
色々なものを創り出していた
ある時は水中銃であったり,小鳥小屋であったり,洋服であったり
今思えば小鳥小屋の延長が
現在の建物を創るようになった
日記のつづきが今の文章を書く様に
子供の頃の絵を描くつづきを
今画家としてやっている
だから僕にとっては絵も建築も
誰かに教わった訳でもなく
子供の頃からのつづきなのです
悲しかった事,嬉しかったこと,つらいこと,
いっぱい心に残れば
それだけ豊かに成る気がするのです
それが自分の生まれ持ったDNAとまざりあい
不思議な色,や形になって出て来る
それに自分も感動し
ましてや見ず知らずの外国人に作品が買われたり
すると
これは真にひとめぼれの恋人に
出会ったようである
時々不思議に思う事がある
その辺で売っている墨や絵の具が
自分自身に成ることがある
それは若い時には余り感じなかった
若いときはああしたい,こうしたいが
つよく自分の主張や夢,希望,哲学のようなもの
を絵,や彫刻に印していた様に思う
これらは多分口や文字で言い表すことのできるもの
何も絵で説明しなくても良いのでは
芸術は説明の出来ない何かである
それは私達がオギャーと生まれと同時に
回りの空気を感知して
恐怖や喜び,怒りで反応するように
生きるための方法を体得し始める
そして言葉を覚え,文字,や知識で武装する
これらは生きるための方便
でもある
私がわたしであると言うこと
はそれらの方便をすべて取り除き
個を形成しているDNAのようなもの
が自分である
しかしこのDNAがどんな形,色なのかは
わからない
だから僕は鏡の向こうの自分を観る様に
描かれた絵が
気恥ずかしかったり何度みてもクギズケになる
状態に出会う時
もしかしたらこれが自分のDNAかも知れないと
思うのです
つづく
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■ 無題
Date: 2007-11-07 (Wed)
今日から62年間の私の人生(芸術)について思いつくままに書き綴っていきます.
僕は幼い時より感受性の強い子
で何かとよく泣いていた,
母からこんな泣き虫ちゃんとした大人になれるだろうか
が口癖だった
又明治生まれの母は日露戦争の将軍, 乃木大将も凄い泣き虫だった
と僕を勇気づけることも忘れなかった.
秋の夕暮れ時
回りは稲の刈り終わった田んぼがつづき,
その間に朱に染まった空が薄墨色に暮れる中
黒いシュルエッとに一粒浮かぶ朱色の柿の実が
何ともさみしそうに
おまけにモヅがキーキーと悲しそうに鳴く
のにはワケもなく悲しかった
近くには多摩川が流れ
キロキロとせせらぎの音とともに
土手も若草色に変わり
キラキラとまぶしく水面が光輝き
春がやって来る
わくわくした心で水底を覗き込み
透明な水中に生える水草の隙間から
カジカやフナを見つめていた
家に帰ると其の感動を
誰かに伝えたくて母や弟に
10cm位の魚は三倍ぐらいにして話していた
でも自分の思ったように伝わらない
ことがつづくと
日記,や絵,工作にして欲求不満を解消していた
学校の成績は図画はづーと五で
後は一から四まであったと記憶している
62才になった今も此のスタイルは変わらず
何か感動がありそれを留めて置こうと絵や彫刻に
刻印している
つづく